人種のるつぼ(メルティングポット)

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大変な混乱の中スタートした東京オリンピック。皆さんはご覧になっていますか?

様々な人種の人達が参加するオリンピック。あらためて本当に世界は広い、そして様々な国がある事を感じました。そして頭に浮かんだ言葉は、人種のるつぼ(メルティングポット)とサラダボウル。私が学生時代を過ごした多人種社会のアメリカでは良く聞く言葉。

皆さんは聞いた事がありますか? 

まずそれぞれの定義など、辞書などから引用したものをシェアします。 

“人種のるつぼ(メルティングポット)とは、

多様な人種や民族がひとつの場所で溶け合い、新しい文化や社会が形成されること。

また、1950年代〜60年代のマイノリティによる公民権運動が高まるにつれて、人種のるつぼ論は同化主義を意味する言葉となってきた。

そこで、代替案として登場するのが「サラダボウル」(the salad bowl concept)という考え方。

具体的に、「サラダボウル」と「人種のるつぼ」とは以下のような違いがある。

「人種のるつぼ」の考え方は多民族が集まって単一で同質な文化(=a single homogeneous culture)が形成されていくという考え方。

一方で「サラダボウル」概念は、それぞれの野菜を入れて混ぜ合わせたボウルの中での状態を指し、ボウルの中でも個別の野菜が元の形や味の特徴を失わないように、アメリカというボウルの中に各民族がルーツとなる国々の文化の特徴を失うことなく共存していくという考え方。“

アメリカ学生時代には、アメリカは国として「人種のるつぼ」を目指している事は感じましたが、実際にはメルティングポットでは無いよな、と思っていました。様々な事情で他の国から移民で来て、この新たな社会で生き残ろうとするエネルギーが学生の私にも感じられたからです。良い悪いでは無く。メルティングポットにはならないなと。

そこで聞いた「サラダボウル」の概念は、私にはしっくり来たのを今でも覚えています。それぞれの個性を失わないように共存を目指す。

自分が最初15歳で渡米した際に、周囲に溶け込もうと必死にアメリカ人となろうとしていました。

でも周囲から求められていたのは日本人である事や、日本の文化などの知識でした。それに気がついた後自分が楽になった、そして日本人である事を忘れていけないと思ったのです。

時々普段色々なバックグランドの人達と仕事をして、難しい事はなんですか?と聞かれます。

私は日本人だから、海外の人達だからという意味では難しい点に違いはないと思っています。

いかに相手の状況、バックグランドを理解して、お互いの良い部分を尊重しながら着地点にもっていく事が大切であり、そこがチャレンジングな部分と私は思っています。

また無理矢理 “メルティングポット” や “サラダボウル” に持っていく必要も無く、“サラダボウル” のバランスを更に整える為にドレッシングをかける部分の役割が、プロジェクトマネージャーとして大切と私は感じています。

多文化の社会といえばシンガポールも常にそうですね。ですが、アメリカとは全く違う部分を私自身3年住んで感じました。こちらはまた次回以降に。

今のこの状況下の中で、オンラインなどでボーダーレスに様々な人やものと繋がる事が出来ます。今後何か本当に大切か、そもそも何で自身がそれを行っているかを問いかける。

そして柔軟性やバランスを保ちながら進んでいく。この部分がサラダを更に美味しくするドレッシングの部分かなと私自身は思います。

猛暑が続く日本ですが、皆さんも体調に気をつけながらお過ごし下さい。

皆さんにとって笑顔が1つでも多い1週間になりますように!!

川田真保

グローバル社会を生き抜く「効率アップ術」金融現役25年、プロジェクトマネージャー兼NLPコーチ

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